小惑星探査衛星「はやぶさ2」は、2020年12月6日、惑星「リュウグウ」の表面物質が詰まったカプセルを地球に届け、自らは新たな深宇宙探査の旅に向かいました。出発から2,194日と13時間32分、総飛行距離52億4千万kmのミッション。その最大の成果は、リュウグウの物質を採取して持ち帰ったことですが、その成功の裏に、ある装置の存在があったのをご存知でしょうか。川崎重工グループで、日本唯一の航空機専門メーカー・日本飛行機(NIPPI)が開発・製造する「ヘリカルスプリング」。採取作業や帰還のためのカプセル分離・放出作業などを確実にこなした“名脇役”の存在なくして、はやぶさ2のミッション完遂もなかったと言えるでしょう。
3つの主要ミッションの“肝”
はやぶさ2はリュウグウへの探査で「9つの世界初」を成し遂げました。そのうち4つは惑星の表面および地下物質の採取に関するものです。
- C型小惑星(水と有機物が含まれていると考えられる惑星)からサンプルを採取したこと
- 採取したサンプルに地球圏外の気体が含まれていたこと
- 地球圏外の天体の地下物質へアクセスしたこと
- 人工クレーターを作成したこと
また、その過程や前後で詳細な観測ができたことも大きな成果でした。
サンプル採取に至るまでに、はやぶさ2はリュウグウ地表へ2度のタッチダウンを試み見事に成功を収めます。そのうち2度目は、衝突装置によって作られた人工クレーターへのものであり、それによってこれまでは難しかった地下物質の採取をもやってのけたのです。「サンプル採取は日本のお家芸」という評価は、世界で揺るぎないものとなりました。
惑星から物質を採取して地球に送るには、さまざまな専用の装置が必要になります。サンプルを採取する「採取装置(サンプラ)」。人工クレーターを作成する「衝突装置」。採取されたサンプルが入っているカプセルを地球に戻す「再突入カプセル」。これらの装置の確実で安定した作業を実現させた“名脇役”が、日本飛行機が開発・製造している「ヘリカルスプリング」と呼ばれる特殊なバネでした。
サンプラも衝突装置も、そして再突入カプセルも、その伸展・分離・放出などの作業は、極めて高い精度で、かつ正確なタイミングで実行されなければなりません。
その状況下でヘリカルスプリングは、バネの力を利用して装置を正確に伸展させたり、最適な速度と回転を与えて装置の安定性を維持して放出したりします。一見、アナログで簡単な道具に見えますが、実は狙い通りの力を100%引き出すための莫大な実験・シミュレーションと、素材研究がなされた超ハイテクパーツなのです。
バネが伸 びると何ができるのか?
まさにヘリカルスプリングの形はスカスカのザルのよう。これが衛星でどのように使われるのか、サンプラ伸展機構を例に見てみましょう。
サンプラは、打ち上げられるまでは衛星の底部に畳んで収納されています(動画1)。装置自体の直径は20cmで、畳まれている時の厚さ(高さ)は23cm(ヘリカルスプリングのみ)ほど。しかし、打ち上げ後は畳まれていたものが長さ86.2cm(同)に伸長します(動画2)。
そして、ゆっくりとリュウグウの地表にタッチダウンすると、すかさず5gほどの弾丸を秒速300mの速度で撃ち出し、リュウグウの表面を粉砕。砕かれて舞い上がった表面物質はサンプラホーンの中に入って上昇し、サンプルキャッチャの中に格納されます。一連の仕事は瞬時に行われ、衛星はタッチダウン即ジャンプという具合に地表から離れます。
そ の仕組みは、折りたたみ状態から解き放たれるとスプリングが伸び、それに誘導されて一緒に畳まれているサンプラも伸びるというもの。ヘリカルスプリングの役割は、「解き放たれて伸び、その力で他の装置を伸展・分離・放出する、もしくは回転を与える」こと。そのため衝突装置や地球に再突入するカプセルでも、仕事の風景はほぼ同じで至ってシンプルなものです。しかし、日本飛行機でヘリカルスプリングの開発と設計を担う技術部システム設計課宇宙構造設計係の阿部和弘さんが「単純そうでいて、実は“イケてる装置”」と胸を張るのには深い訳がありました。
押し出され、コマのように回り、ターゲットポイントへ
ヘリカルスプリングは、円形でアルミ製の「ベースリング」と、縦に並ぶグラスファイバー製の「ロンジロン」でできており、ロンジロンは、サンプラ用が12本で2段、衝突装置用が12本、カプセル分離装置用が24本と、それぞれ数が異なります。
ロンジロンに使用されるグラスファイバーとは、ガラス繊維の糸の束にエポキシ樹脂を染み込ませて固めたもので、太さは2mmほど。長手方向に繊維が走っているため曲げても折れず、よくしなります。ヘリカルスプリングはこの特徴を生かし、上から力を加えて押さえ込んでも柔らかにたわみ、押さえるのを止めると瞬時に元に戻るよう設計されています(動画3)。また時計回りでも反対回りでも押さえる方向を問わないのも重要なポイントです。
はやぶさ2では、衝突装置用が直径25cmで1個、再突入カプセル用が直径37.2cmで1個。そしてサンプラ用には直径22cmで2段重ねのヘリカルスプリングが搭載されました。2段重ねになっている理由について、阿部さんは次のように説明します。
「折り畳む方向を逆にすることで回転を打ち消し合い、直線的に伸びるようにするためです」
しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。もし、「バネの力で押し出すこと」が役割であるのなら、金属のコイルバネでも良いのではないか?その疑問に、阿部さんは次のように答えます。
「グラスファイバーは金属よりも軽く、大きく伸び縮みさせることができ、スプリングの内側のスペースも有効利用できます。そして最大のメリットは、バネ自身のまっすぐに伸びようとする安定性が強く、装置類を正確に伸展・分離・放出できることなのです」
コイルバネの場合、複数個で押さえ込むため、装置を分離・放出する時には一つ ひとつのバネの解放のタイミングが合っていないとバランスが崩れ、装置類は真っ直ぐには放出されません。一方、ヘリカルスプリングは、円形のリング全体で押し出すので、傾きが生じず、結果的に装置類は真っ直ぐに放出されていくのです。
もう一つの理由が、回転力。衝突装置や再突入カプセルは、サンプラホーンと異なり、回転も与えます。装置は自転することで、姿勢の安定性が増し、より正確に狙いの場所に到達できるようになります。ですが、コイルバネを複数設置しても、同じような回転力は得られません。
例えば衝突装置の金属弾が爆発して的確に地表をえぐるには、弾の発射面がリュウグウの地表方向に向いている必要があります。しかし、もし分離・放出する時に押し出す力が傾いてしまうと、強い力を受けた方に装置が傾いたり回転してしまいコントロールができなくなってしまいます。そこで、コマのように衝突装置を回転(自転)させることで姿勢を安定させ、発射面が常にリュウグウの地表方向に向くよう設計されているのです。(動画4)
再突入カプセルの分離・放出もミッションクリティカルと言えます。はやぶさ2では、数度の修正を経てカプセルがオーストラリアの砂漠に落ちる軌道に乗り、2020年12月5日午後2時30分(日本時間)に高度22万kmで分離・放出されました。高度200kmまで落ちてきて大気圏インターフェースに入りますが、この時、飛行速度は 毎秒12km、大気圏進入角度は12度、許容幅はわずか0.2度しかありません。
もしカプセルが想定通りの時間に、想定通りのタイミングで、想定通りの方向や角度で分離・放出されなかったら、狙いの地点とは異なるとんでもない所に飛んで行ってしまう……。だからこそ精密に押し出し、回転を与えることが必要とされたのです。
“双子の兄弟”と共に「奥深い仕事」をする
各装置によって、ヘリカルスプリングが押し出すことによって生じる速度や回転数は厳密に決められています。再突入カプセルならば押し出された時のスピードは毎秒20cm、回転数は毎分10回。
「とすれば、ヘリカルスプリングの直径やロンジロンの長さを何cmにすれば良いのか。そこからどれぐらいの力で回転が生まれるのか。さらには分離・放出時に装置自体がどれぐらい揺れるかも設計段階で考慮する必要があります。膨大な実験とシミュレーションを重ねた結晶が、“宇宙標準”としてはやぶさ2に搭載されたものなのです」
実は 、はやぶさ2に搭載されているヘリカルスプリングとは別に、一緒に旅を続けている“双子の存在”がいます。「長期保管試験用」として同時に納品されたヘリカルスプリングで、こちらは本番作業の前に地球でバネのへたりがないか、などの検査に用いられます。例えば再突入カプセル用は、6年間という長い時間をかけてチェックされたもの。日本飛行機は、先代「はやぶさ」から再突入カプセル用ヘリカルスプリングをJAXAと共同開発をしてきました。
「完成時に比べてどれぐらいへたるかははやぶさでの知見があり、今回のはやぶさ2で生かされています」
シンプルでありながら多機能で、実に奥深い仕事をするヘリカルスプリング。阿部さんが“イケてる装置”と語るのも頷けます。
技術・品証本部 技術部 システム設計課
宇宙構造設計係