脱炭素社会の実現に向けて、「水素エネルギー」が注目を集めています。水素は利用時にCO₂を発生させないため、地球温暖化対策に大きく貢献することができます。さらに、水素は様々な資源から製造・調達ができるため、日本ではエネルギーセキュリティの面でも期待されています。川崎重工は、水素を「つくる」「はこぶ」「ためる」「つかう」の4つのフェーズで、独自の技術開発を推進しています。水素エネルギーのサプライチェーン構築をめざすその革新的な取り組みを探ります。
利用時だけではなく、製造時にもCO2を排出しない水素エネルギーの普及が重要
2015年に採択されたパリ協定以来、世界的に脱炭素・低炭素化の流れが加速しています。特に発電分野においてもCO2の削減が求められる中、利用時にCO2を発生させない水素エネルギーへの期待が高まっています。
日本のエネルギー自給率は東日本大震災後、6~7%と低く※1、化石燃料供給の大半が中東をはじめとした外国からの輸入に依存しています。エネルギーセキュリティの観点からは、国内のエネルギーの活用やエネルギー輸入先の多様化、多様なエネルギーの活用などが求められています。
そこで、電気を使って水から取り出 す、あるいは石油や天然ガスなどの化石燃料、メタノールやエタノール、下水汚泥、廃プラスチックなどさまざまな原料から製造できる水素エネルギーが注目を集めています。
特に、海外の未利用資源や再生可能エネルギーから水素を製造し、海上輸送して輸入するサプライチェーンを構築することで、エネルギーセキュリティの強化に貢献できます。また、太陽光発電など国内の再生可能エネルギーの余剰電力を水素に変えて自動車などで利用する「Power to Gas」もエネルギーの有効活用につながると考えられています。
水素エネルギーは利用段階ではCO2を排出しないエネルギーです。火力発電の燃料として、エネファーム(家庭用燃料電池)や自動車の燃料として活用するなど、CO2排出量の多い「電力部門」「産業部門」「運輸部門」において活用することで低炭素化へ貢献すると期待されています。
水素・燃料電池関連分野の市場は今後大きく成長する可能性があり、世界的にも低炭素化の実現に向けた水素の利活用によって、将来的に全世界で2.5兆ドルの市場および3,000万人の雇用が創出されるという試算もあります。
さらに製造時にもCO2を排出しない方法で作った「CO2フリー水素」の普及により、CO2を排出しないゼロエミッションなエネルギーシステムに大きく貢献することが可能となるのです。※1
※1 経済産業省 資源エネルギー庁「なぜ"水素"なのか」 参照
川崎重工と3社が商用化を進める世界初の「水素エネルギーサプライチェーン実証プロジェクト」
世界中で水素エネルギー活用のための技術開発が進んでいます。オーストラリアに大量に存在する安価な褐炭(品質の低い石炭)から水素を製造し、日本へ輸出する世界初の「水素エネルギーサプライチェーン実証プロジェクト」が開始されています。
川崎重工業、J-POWER、岩谷産業株式会社、シェルジャパン株式会社によって技術研究組合「CO2フリー水素サプライチェーン推進機構(HySTRA=ハイストラ)」を設立(その後丸紅株式会社、ENEOS株式会社、川崎汽船株式会社が加入)。2016年2月に発足され、水素製造、輸送・貯蔵、利用からなるサプライチェーンを構築し、2030年頃の商用化を目指します。
「HySTRA」は新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の水素サプライチェーン構築実証事業の実施主体です。
「HySTRA」における4社の役割は異なります。オーストラリア・ビクトリア州での褐炭を原料とする水素製造技術の構築をJ-POWERが担い、液化水素運搬船の建造と運航技術の確立を川崎重工とシェルジャパン(シェルグループ)、液化水素荷役基地の建設と運用技術の確立を川崎重工と岩谷産業が担っています。さらに川崎重工は、各種の技術開発をリードし、オーストラリア政府との調整にも尽力しています。
2017年1月には、水素を利用した新エネルギー移行に向けたグローバルなイニシアチブ「Hydrogen Council(水素協議会)」が発足されました。参加企業は、川崎重工をはじめ、トヨタ自動車株式会社、本田技研工業株式会社、岩谷産業などの日本企業のほか、エア・リキード(仏)、アングロ・アメリカン(英)、BMWグループ(独)、ロイヤル・ダッチ・シェル(英蘭)などです。
さらに2017年12月、政府によって「水素基本戦略」が決定されました。水素エネルギーを再生可能エネルギーと並ぶ将来エネルギーに位置づけし、燃料電池自動車や水素ステーションの普及、年間1,000万t程度の水素燃料の調達など、取り組み目標も提示しました。※2
※2 経済産業省 資源エネルギー庁「水素社会がやってきます!」参照
豪州政府も協調する水素エネルギー製造。世界初の水素サプライチェーン構築実証試験も予定
オーストラリア・メルボルンから東へ約150㎞のラトロブバレーには、褐炭層が広がっています。日本の総発電量換算で240年分に相当するエネルギー量です。
この地でJ-POWERがNEDOの実証事業の一つとして担うのが、褐炭のガス化です(以下、NEDOポーション)。そしてNEDOポーションとは別に、オーストラリア政府とビクトリア州政府の補助を受けて、ガス製造の後工程になる水素ガス の精製、液化水素の製造、貯蔵・荷役設備などのパイロットプラントの建設を行いました。(以下、豪州ポーション)。
豪州ポーションは川崎重工の他、岩谷産業、J-POWER、丸紅、住友商事、オーストラリアを代表するエネルギー大手企業、AGLの6社がコンソーシアムを組んでいます。
このプロジェクトについてビクトリア州政府は「水素社会の先陣を切る世界初の取り組みであり、数百人規模の雇用創出にもつながる」と歓迎しました。また、オーストラリア国民の環境意識は高く、化石燃料である褐炭を原料として使うことや、水素製造の過程で出るCO2の処理問題についての高い関心があります。
ただ原料となる褐炭は石炭としては若いもので、水分の量が50~60%と多く、乾燥すると自然発火しやすく輸出が困難なため、現地での発電でしか利用されていません。こうした事情から、褐炭の欠点を克服するのが水素エネルギーの原料としての利用であり、未利用資源に経済的な付加価値をもたらす、という評価が定着してきています。
また、商用化を見据えて褐炭からの水素製造の過程で発生するCO2については、豪州政府が推進するCCS(CO2の分離・吸収・貯留)プロジェクト「カーボンネット」と商用化を見据えて連携しています。
豪州ポーションにおいて川崎重工は、個別には荷役基地の建設と運用評価を行ないます。そして本年度下期には、世界初の液化水素国際間サプライチェーン構築実証試験が予定されています。ビクトリア州ラトローブバレーで産出される褐 炭から水素を製造し、同州のヘイスティングス港にて液化・積荷し、日本の神戸液化水素荷役実証ターミナル(Hy touch 神戸)に輸送することにより、水素サプライチェーン構築に必要な一連の技術実証を行うものです。
水素産業発展のために欠かせないインフラ設備の構築、技術者の育成にも力を注いでいくことで、液化水素サプライチェーンの商用化を実現し、CO2排出を抑制したサステナブルな社会の実現を目指します。
世界初の液化水素運搬船。安全輸送の国際標準ルールもリード
「HySTRA」では川崎重工が液化水素運搬船(パイロット船)「すいそ ふろんてぃあ」を建造し、シェルが運航を担います。本年度下期には、オーストラリア〜日本間の初航海に臨む予定です。
水素は-253℃の極低温で気体から液体に変わり、体積が800分の1になります。体積を減らすことで、貯蔵・運搬の効率を向上させ、より多くの水素の流通を可能にします。
川崎重工は、LNG(液化天然ガス:-162℃)の運搬船、貯槽、受入基地や、極低温の液化水素の貯槽を世に送り出してきました。その長年培ってきた造船技術と極低温技術の粋を結集し、世界初の液化水素運搬船の誕生へと導きました。オーストラリアから日本までは約9,000㎞。搭載される液化水素用タンクは1基で、容積は1,250㎥。魔法瓶のような二重殻で、設計圧力は標準大気圧の5倍に設定されています。
川崎重工 技術開発本部 水素チェーン開発センターの新道 憲二郎 副部長は「断熱性ではLNG運搬船の10倍の性能が必要ですが、その製造にはLNG用輸送タンクの知見や当社が種子島宇宙センターに設置した液化水素タンクの製造技術が生かされています」と語ります。
「世界初の液化水素運搬船となることから、その安全性には十分配慮しており、緊急時の水素放出に対する安全評価も含めながら、輸送用タンクの技術開発を進めてきました。液化水素はLNGと比較して、蒸発しやすく、分子が小さいことから漏れやすい性質があります。これまで培ったLNG用タンクの製造ノウハウに、「地下から宇宙まで」の製品群を製造してきた、当社の技術を結集しています」。
液化水素を受け入れる荷役基地は、神戸空港島の一角に設置され、川崎重工がプラントシステムを建設し、岩谷産業が運用します。ここでも液化水素を船から貯蔵タンクへ搬送するローディング設備の断熱・密封性能が安全確保のポイントとなります。「動揺する船と地上貯蔵タンクとを安定的に接続でき、従来のLNG用鋼製ローディングシステムより断熱・密封性能を向上させた、フレキシブルホースを用いる方法を考案しました。世界で初めての実証となります」と新道副部長は解説します。
液化水素の海上大量輸送は、歴史上一度も成し遂げられていません。運搬には安全性を確保するためのルールづくりが必要で、承認機関である国際海事機関(IMO)は日本の提案を基に議論を重ね、2016年に日本が提案する安全要求案が正式に承認されました。
つまり建造するパイロット船は、世界初の液化水素運搬船であるという技術的な貢献のみならず、液化水素の安全輸送の国際標準ルールを実証しリードするものになるのです。
「まだ1隻も現物がないので、IMOルールも暫定的なものです。パイロット船が世界初の液化水素運搬船として承認され、運航を重ねていけば、その成果が国際ルールづくりに反映されるのです」と新道副部長は話します。
「HySTRA」は世界初の技術を実証するにあたり、安全第一で着実な遂行を追求しながら実用化を目指してい ます。
市街地で水素大規模発電に成功し、設備能力と安全運用を立証。
2018年4月19日と20日に、世界で初となる実証実験が成功しました。神戸ポートアイランドにおける「市街地でのガスタービンによる純水素を燃料とした熱と電気の同時供給」です。
2017年12月に、1MW級水 素ガスタービン発電設備「水素コージェネレーションシステム(水素CGS)※3」の実証プラントを完成させ、試験運転を開始。その後、水素と天然ガスの混焼および水素専焼によるガスタービン発電機単独での実証や、天然ガスによる熱や電気供給の実証などを行ってきました。
そして、水素のみを燃料として近隣の4施設へコージェネレーションシステム(以下、CGS)により電気と熱(蒸気と高温水)を供給することに成功したのです。
中央市民病院とポートアイランドスポーツセンターの2施設に2,800kWの熱を、これら2施設に加えて神戸国際展示場とポートアイランド処理場の合計4施設に合計1,100kWの電力供給を実現。ポートアイランドスポーツセンターではプール用、給湯用、暖房用に高温水が、市民病院では給湯用、暖房用、医療器具の滅菌用に蒸気が使用されました。
水素を燃料とするガスタービンを軸に電気と熱をつくるこの取り組みは、「水素CGS活用スマートコミュニティ技術開発事業」と呼ばれます。NEDOの水素社会構築技術開発事業として、地域レベルでの電気、熱、水素の各エネルギーの効率的な利用を可能にするエネルギーマネジメントシステム(統合型EMS)の開発と実証が行われました。
ガスタービンや発電・ボイラ設備は川崎重工が設置し、統合型EMSの開発は大林組が進めました。その後も同様の供給実験が繰り返されました。
川崎重工 技術開発本部 水素チェーン開発センタープロジェクト管理部の足利 貢 副部長は語ります。「季節ごとの需 要の変化に伴うガスタービンの性能の変動を検証したり、統合型EMSの制御手法を確立したりするために、さまざまなデータを収集するのが実証実験の目的です。収集、分析されたデータは、レベルの高い実用的なノウハウを創造するために不可欠なものになります」。
設置されているガスタービンは、川崎重工が開発を進めてきたものです。水素、天然ガスそれぞれを単独で燃料にすることも、両者の混合燃焼も任意の割合でできるフレキシブルな性能を備えています。
水素だけを燃料にする場合、水素の火炎は高温で広がりが早いためにバーナーを傷め、NOxが発生しやすいという課題があります。これに対して川崎重工は、燃料噴射弁の形状を工夫したり、水と燃料を一緒に噴射する方法を採用したりすることで課題を克服してきました。足利副部長は「実証実験の最大の成果は、市街地という生活圏でも水素エネルギーを安全に運用できると証明したことにあります」と語ります。ガスタービンだけでなくプラント全体の設計や施工が、十分に安全を確保したものになっているのです。つまり大規模な施設であっても、水素を使った実用的な発電ができることが設備能力と安全運用の両面から立証されたのです。
「つくる」「はこぶ」「ためる」「つかう」の4つのフェーズにおいて、水素エネルギーのサプライチェーン構築をめざす川崎重工。自社の発展だけではなく、国内外の企業、政府、専門機関など多くのプレーヤーを巻き込み技術革新を進めることで、脱炭素・低炭素化を図りながら持続的な経済成長も可能となります。それこそが「水素エネルギー」の大きな魅力と言えるでしょう。脱炭素社会を実現し、日本におけるエネルギーセキュリティの強化を可能とし、環境への適合を図る安全で豊かな未来は、そう遠くないのかもしれません。
技術開発本部 水素チェーン開発センター
プロジェクト推進部
副部長
技術開発本部 水素チェーン開発センター
プロジェクト管理部
副部長
※文中に登場する数値・所属などは2018年7月の情報です 。