1924年、目黒川のほど近くで創業した目黒製作所。現在では川崎重工グループのモーターサイクル部門であるカワサキモータースと合併して今にその歴史や技術が受け継がれています。「メグロ」の誕生から100周年を迎えた記念すべき2024年、カワサキは世界初*¹のストロングハイブリッド*²型モーターサイクルを発売し、さらに量産メーカーとして世界初となる水素エンジンを搭載したモーターサイクルの公開走行を成功させました。「伝統と革新」をテーマに、あらゆる可能性を追求し続けているカワサキモータース。そのモーターサイクルのルーツのひとつであるメグロ100年の歴史を振り返ってみましょう。
*1 主要メーカーの量産モーターサイクルとして世界初(スクーターを除く) 2023年10月6日時点 カワサキモータース株式会社調べ。
*2 ストロングハイブリッドシステムは、エンジンと電気モーターを組み合わせることによりパワフルな走行を実現し、また電気モーターのみでも走行可能なシステムです。
1:メグロは国産大排気量スポーツバイクの草分け
皆さんはメグロという二輪メーカーがあったことをご存じでしょうか。都心有数の桜の名所として知られる目黒川。そのほとりから歩いて5分ほどのところに目黒製作所がありました。創業は遡ること100年前の1924年(大正13年)。戦前から積極的にレースに参戦し、欧米の大排気量車を相手に大きな成果を挙げていました。そうして技術力を高めたメグロは、1937年(昭和12年)に自社初の市販車として排気量500ccの「Z97型」を完成させます。これが国産大排気量スポーツバイクの源流となり、そして、当時の日本のライダーたちから憧れの的となりました。
1960年代に入り、川崎航空機工業(現 川崎重工グループ・カワサキモータース)との業務提携を経て、目黒製作所としての歴史は1964年で幕を下ろし、カワサキとして後世に継承されていきます。大型スポーツバイクにこだわり続けた優秀な技術者たちはカワサキへと籍を移し、メグロの血統を受け継ぐ名車650-W1、そしてZ1やNinjaなどの傑作を次々と生み出したのです。
元号が平成から令和に変わって3年目の2021年。カワサキは「MEGURO K3」を発売しました。これは航空機を製造してきた革新的な技術力と、日本最古のスポーツバイクメーカーの伝統が、カワサキのモーターサイクルの中に今も息づいていることをバイクユーザーに伝えたいという決意表明でした。そして、目黒製作所の創業100周年となる2024年。この記念すべき年に「MEGURO S1」と「W230」というそれぞれのブランドを受け継ぐモデルを発売しました。
2:メグロの歴史:創業~カワサキとの合併
目黒製作所は、栃木県出身の村田延治と、静岡県出身の鈴木高治、二人が、1924年(大正13年)年8月に創業しました。徳川慶喜の十男、勝精伯爵の出資によって立ち上げられた村田鉄工所から独立する形での設立であり、社屋の近くに目黒駅や目黒不動尊などがあったことから、社名を目黒製作所としました。
村田と鈴木は、創業後、国産初となるバイク用の2段トランスミッションや、当時では画期的なバックギヤ付きトランスミッションなどを製造します。これらは操作性に優れ、なおかつ故障が少なかったことから、まずは変速機メーカーとして高い評価を得ることに成功しました。その後、498cm3空冷4ストローク単気筒エンジンを開発し、1932年から他の二輪メーカーへ供給を開始します。それと同時に、各地で開催されているオートレースに独自開発のワークスレーサーで参戦する ようになり、二輪メーカーとしての実績を積み上げていきます。そして1937年、レース活動で得たノウハウを投入して作られたのが、メグロ初となる完成車「Z97型」でした。当時、500ccクラスのモーターサイクルは大排気量モデルであり、しかもスポーツモデルからの市場参入は国内メーカーとしては極めて稀なものでした。この記念すべきメグロ第一号車は、1939年に10台が警視庁に白バイとして登用されました。
1941年12月、日本は太平洋戦争に突入。目黒製作所は、二輪車の生産設備を栃木県烏山町(現 栃木県那須烏山市)に疎開しました。疎開の選択が技術や生産設備を守ることに繋がり、終戦からわずか3年後の1948年には、二輪車の製造・販売を再開。日本の復興に貢献しました。1950年に発売した248cm3空冷4ストローク単気筒エンジン搭載の「ジュニアJ1」は、日本初の250ccモデルであり、後にポピュラーとなるこのクラスの需要を切り拓きました。付け加えると、ジュニアシリーズの最終型である「カワサキ250メグロSG」は、1992年発売の「エストレヤ」や、2024年発売の「MEGURO S1」のモチーフとなりました。
メグロの名声は、1957年10月に開催された第2回浅間火山レース(正式名称:第2回全日本オートバイ耐久ロードレース)で絶頂を極めました。1周19.2kmのコースに舗装部分はなく、ローラーで急いで整地した程度の非常にタフな路面でした。メグロは最大排気量クラス(500cc)において1位、2位、4位、5位でフィニッシュし、大排気量カテゴリーにおける比類なき強さを示しました。
また、メグロは戦後も官庁に白バイとして採用されました。初の2気筒モデルである「セニアT1」やその後継機の「セニアT2」、単気筒の「スタミナZ7」などが1950~1960年代に警視庁や地方警察に採用されています。そして、高速時代に対応すべく新たに開発された496cm³2気筒エンジンを積む「スタミナK1」は、1964年に開催された東京オリンピックでは先導車として活躍。テレビを通じて全世界にその雄姿を披露しました。
この「スタミナK1」が登場した1960年の11月。新興メーカーの小型車攻勢に対抗するため、目黒製作所は川崎航空機工業との業務提携を発表。1962年には「株式会社カワサキメグロ製作所」として再スタートを切ることになります。カワサキは、1922年(大正11年)に初めて複葉機を完成させるなど、早い段階から航空機メーカーとして発展。戦後は播州歯車工場で設計・生産した自転車用補助エンジンKB-1型から二輪産業に参入、航空機エンジニアによって設計された高い技術力を最大限に活かし、小排気量車を中心にラインアップしました。
3:メグロの歴史:技術の継承 そして「W」へ
業務提携後、メグロのフラッグシップである「スタミナK1」の後継機種の設計および量産は、川崎航空機工業が担うことになります。車体については、メグロが培ってきたパイプフレームの開発思想や電気溶接技術などが多数駆使されました。両社の技術の粋を結集して誕生した後継機種は「カワサキ500メグロK2」と名付けられ、カワサキ初の大排気量車として1964年の第11回東京モーターショーで華々しくデビューしました。このK2はさらに改良が加えられ、当時の国内最大排気量となる「カワサキ650-W1」へと発展します。
こうして誕生したWブランドはいくつかのモデルを経て、およそ30年後の1999年に発売された「W650」へと受け継がれます。当モデルの車体実験には、東京オリンピック向けのスタミナK1P(白バイ仕様)の完成検査に携わった人物もおり、たくさんの人々の力によって技術や想いを繋ぎ、メグロのDNAは脈々と継承されました。そして、W650は2011年にW800へと進化し、元号が令和に変わった現在も生産が続けられています。
旧メグロの技術者たちは、合併後もその手腕をカワサキで遺憾なく発揮し、1972年発売の「カワサキ900スーパー4(通称Z1)」や、1984年発売の「GPZ900R(初代Ninja)」などの開発に深く携わります。カワサキモータースが世界的な二輪メーカーへと躍進した背景には、航空機を製造してきた革新的な技術力と、メグロの優れた車体設計や加工技術の両輪によるものでした。
近年の例では二輪量産車として世界初となるスーパーチャージドエンジンを搭載した「Ninja H2/H2R」や、二輪車世界初となるストロングハイブリッドモデル「Ninja/Z7 Hybrid」の販売、そして、時代の要請に応え先進性を発揮して、量産メーカー初の水素エンジンモーターサイクルの公開走行も行ないました。
4:メグロの復活:そしてこれから
2021年、「伝統と革新」をブランドコアのひとつに定めたカワサキモータースは、半世紀ぶりにメグロのブランドを復活させます。第1弾として登場したのは773cm³2気筒エンジンを搭載する「MEGURO K3」です。かつて目黒製作所が社運を賭けて開発した「スタミナK1」。それを進化させたのが 「カワサキ500メグロK2」。そして半世紀ぶりに復活したモデルには「MEGURO K3」という車名が与えられました。この車名の流れは歴史を振り返ると実に感慨深いものでした。
そしてメグロが誕生して100周年となる2024年。232cm3単気筒エンジンを採用した「MEGURO S1」が第2弾として登場しました。60年前に発売された「カワサキ250メグロSG」の正統なる後継車であり、かつて高性能かつ高品質なことから、憧憬の的となったメグロの世界観を普通二輪免許でも味わえるように開発されたモデルです。
また、メグロの誕生100周年にあたり、2024年9月に、創業地に近い目黒駅において、駅開業140周年と合わせた特別記念展示企画「目黒とメグロの回顧展」が開催されました。このイベントでは、2023年に大ヒットした映画『ゴジラ-1.0』の劇中車として使われたメグロZ97型をはじめ、1965年登場のカワサキ500メグロK2、発売直前のメグロS1やW230を展示。また、回顧展の開催を記念してオリジナルのキャンバストートバッグやフレークステッカー、ラバーキーホルダーなども販売しました。訪れた方の中には目黒製作所の元従業員もおり、展示車両のパーツを指しながら「ここの部品を作ってたんだよ」、「私は塗装を担当してました」などと懐かしむ声がちらほらと聞こえました。
かつて目黒製作所の工場があった栃木県の那須烏山市は、現在「メグロの聖地」として親しまれており、メグロブランドが復活した2021年から新旧メグロのオーナーズミーティング「メグロ・キャノンボール那須烏山」が毎年11月に開催されています。メーカー、車種とも制限なく参加できることから、来場者数は年々増えており、今年はおよそ800名が全国から集まりました。メグロは138台が来場し、このうち「MEGURO K3」は54台。来年は「MEGURO S1」の参加も見込まれることから、さらに大きなイベントに成長するでしょう。
長い時間を経ながら、組織は変われども、人から人へと技術と想いを繋ぎ、100周年を迎えたメグロ。次回はMEGURO S1の開発に携わった技術者の思い入れや開発秘話、メグロの今後のブランド展開についてお届けします。