2021年10月、カワサキモータースジャパンの代表取締役社長に、桐野英子氏が就任しました。モーターサイクル業界初の女性トップは、いま、どんな明日を見つめているのでしょうか。モーターサイクルの魅力や、仕事への想い、そしてこれからのビジョンについてインタビューしました。
「どこにでも行ける」と思わせてくれる不思議な乗りもの
「モーターサイクルって、本当に不思議な乗りものなんですよ」。川崎重工入社以来、桐野氏の傍らにはいつも多種多様なモビリティがありました。モーターサイクルはもちろん、ジェットスキーのほか、ATV(全地形対応車)やMULE™に代表されるオフロード四輪車まで。でも、モーターサイクルだけが持つ独自の魅力があるーー桐野氏はそう語ります。「気持ちが自由に解き放たれて、どこにでも行けるんじゃないか。そんな風に思えてくるんです」。
生まれながらのモーターサイクル好きかといえば、実のところ「子供の頃は四輪車が好きだった」と桐野氏は明かします。幼稚園の頃に、将来の夢を発表する場では周りに合わせて「お嫁さん」と答えたものの、本心では違ったそう。その後の日々も、自分は何をやりたいのだろう、何が好きなんだろうと暗中模索の繰り返し。大学時代にはいろいろなサークルの門戸をたたいてみたものの、どれもピンときませんでした。そして19歳の時、桐野氏はモーターサイクルに出会います。
時間のある学生時代に二輪の免許を取得しておこうと思い立った桐野氏は、教習所に通って中型二輪の免許を取得しました。取り立てのライセンスを抱きしめて訪ねたバイクショップ。お目当ては、400ccの4気筒エンジンを積んだレーサーレプリカでした。しかし、初心者ライダーにはとても乗りこなせる代物でないと店主に説得され、結果購入したのは、250ccの2気筒エンジンを搭載するカワサキGPX250R。「でも、うれしかったですね。はじめて自分でモーターサイクルを公道で走らせることができて。それなのに、ふと気づくと50ccの原付にどんどん抜かれていく。 私はこんなに必死で走っているのになんでだろう? そう思って速度計を見ると、たった30km/hしか出ていないんです(笑)」。
「1人で箱根のワインディングロードへ走りに行っても、下りではなんとかほかのマシンと一緒に走ることができるのに、登りはまったくついていけない。それで、周囲のアドバイスを受けて、排気量の大きなマシンに乗り替えることにしました」。当時、限定解除をするためには、試験場で行われる技能審査を一度でクリアするという方法しかありませんでした。しかし、駆け出しのライダーにとって、いわゆる「一発試験」の狭き門をこじ開けるのは至難の業。「なにしろ私は身体も小さい方ですから、ハードルはとりわけ高かった。毎日試験場に通っては、人の試験をつぶさに観察しました」。コースや試験に使用する車種を頭にたたき込んで、自分に合ったソリューションを見つけ出す。そうした試行錯誤を経て、中型免許取得から4ヵ月後、桐野氏は大型二輪の免許を取得しました。
以来、フランス駐在時を除き、いつも桐野氏はKAWASAKIモーターサイクルを相棒にしてきました。長くライダー歴を重ねてもなお、モーターサイクルは奥が深いと桐野氏は語ります。「同じ道を同じマシンで走っていても、どうしてもうまくいかない。モーターサイクルは、そういうことが起こる乗りものです。いつも修行中で、終わりがありません。それは世界チャンピオンのジョナサン・レイでも同じだと思います」。だからこそ、乗り方、遊び方、技量、もちろん車種も、みんな違ってみんないい。そう桐野氏は言います。「モーターサイクルが好きなら、どんな人がどんなマシンでどこを走ってもきっと楽しい。難しく考えることはありません」。
サーキットをもっと身近に感じてほしい
桐野氏は入社から10年目、当時川崎重工ではまだ珍しかった女性海外駐在員としてカワサキモータース フランスへ出向しました。かの地では、二輪と人々の距離がとても近くに感じられたといいます。「フランスの方はみんなレースが好きなんです。耐久レースの時は有料道路が無料で開放されるくらい。サーキットを目指してたくさんのモーターサイクルが駆けていく。道路の上にある陸橋からは、お孫さんを連れたおばあさまがずっとこちらに手を振ってくれたりして。モーターサイクルという存在が、街の隅々まで認知されているんです」。
日本には、FIAから公認を受けた国際コースから、1分もあればラップできてしまうような小さなコースまで、数多くのサーキットが存在します。この恵まれた環境をできるだけ多くの人に楽しんでもらえるように、桐野氏はNinja ZX-25Rのワンメイクレースを2021年にスタートしました。「サーキットは、お金がかかる、走るのが怖い、ハードルが高いというイメージがつきまといます。例えばスーパースポーツのZX-10RやZX-6Rだと、部品ひとつひとつが高価ですし、タイヤ代もばかになりません。もっとサーキットを身近に感じてもらうために、部品も手頃で乗りやすいZX-25Rのワンメイクを企画しました。慣れて楽しくなったら、ステップアップしていけばいい。まずはサーキットに行くきっかけを作りたいって、そう思ったんです」。2022年は、小さなサーキットやオフロードパークなどを拠点に、ビギナー向けのライディングスクールの開催を増やしていきたいと桐野氏は語っています。
業界初の女性トップが大切にする視点
「あの橋は、あなたの国である日本が架けてくれたものだ」。自分の進む道を暗中模索していた大学時代の桐野氏に、ヒントとなる言葉を与えてくれたのは、トルコ旅行中に出会った男性の言葉でした。大学でペルシャ語を専攻していたことから、イランや隣国のトルコの地をたびたび訪ねていたという桐野氏。トルコを旅していたある日、現地の方が大きな橋を指さしながら語りかけたのが冒頭の台詞だったのです。新興国の発展に日本の技術力が貢献している事実を目の当たりにした桐野氏は、「技術」でさまざまなものづくりを行う川崎重工への就職を決意。
当初の配属希望部署は“プラント部門”、勤務地は“東京”、職種は“営業”。しかしかなったのは最後の1つだけで、モーターサイクル部門の明石勤務、というのが会社からの辞令。「それでも、3年は絶対頑張ろうと決めていました。つまらないと思ったことも、別の角度から見るとすごく楽しかったり、不満だと感じた仕事でも、やりがいを見出すことはできる。1つの面だけを見つめて諦めてしまうと、たぶんなにをやっても続かないと思うんです。どんなにおいしそうなケーキを選んでも、他の人のケーキの方がおいしそうに見えたりするでしょう(笑)」。
モーターサイクルの世界は、かつて男性社会でした。「会議も出張も、開発テストに同行しても、いつも女性は私1人。『女のくせに』と言われたこともあります。でも、何度もこう言ってきたんです。『仕事の話に性別は関係ありません』って」。そして今、桐野氏はカワサキモータースジャパンの新リーダーとなりました。「限定解除した時もそうでしたが、一度やろうと思ったことを諦めることができない性格なんです」。身体の小ささをカバーするべく試験場で一生懸命攻略法を研究したあの頃のように、希望とは異なる部署へ配属されても、女性がたった1人の環境でも、常にやりたい仕事を見つけ出し、前を向いて進んできた桐野氏。業界初の女性トップは、いつも目の前に立ちはだかる壁を一旦違う視点から見つめることで、その先へと一歩を進める道を見つけ出してきたのです。
カワサキの“味”はこれからも変わらない
そんな桐野氏は、これからのモーターサイクルをどのように捉えているのでしょうか。
四輪・二輪いずれの業界でも、現在は急ピッチで電動化が加速しているものの、内燃機関が完全になくなることはないというのが桐野氏の見解です。「例えば非化石燃料を使う内燃機関、電気や水素など、いろいろな解決策があると思います。メーカーとしての使命は、多種多様な選択肢を、我々の技術力をもってお客さまに提供することだと考えています。今の大型バイクは、燃料を満タンにすれば300kmは走れます。でも、たとえ満充電にしたとしても、同じパフォーマンスで300km走行できる電動バイクは存在しません。これは車体メーカーだけでなく、バッテリーメーカーやインフラを含め、全員で協力しあいながら解決策を模索していかなければならないテーマです」。
そうしてたどり着いた先が電気だったとしても、カワサキらしさが消えることはないと桐野氏は断言します。「かつて、内燃機関にはキャブレター※という燃料供給装置が使われていましたが、技術の進化とともに、インジェクションへと変わっていきました。それでも、カワサキの“味”が変わることはありませんでした。今のモーターサイクルでは当たり前になったABS(アンチロック・ブレーキ・システム)も、介入のタイミングや制御次第でメーカーごとにまったく個性が異なりますよね」。
桐野氏は、今も多忙な時間を縫って愛車のNinja 650に乗り、ツーリングやミーティングなどへ頻繁に出掛けています。公私にわたり、桐野氏にとってモーターサイクルは欠かすことのできない存在なのです。まさしく、モーターサイクルに愛された女性としてカワサキモータースジャパンの社長になった桐野氏は、最後にこう言って笑いました。「いいえ、私がモーターサイクルを愛しているんです」。
※:日本語で「気化器」。液体燃料を空気と混ぜ合わせて可燃性の混合気体を作り、エンジン内部へ送り込むための装置。ガソリンエンジンを搭載する自動車やモーターサイクルで古くから利用されてきたが、コンピューター制御で燃料を噴射する電子式インジェクションの台頭により、徐々に使用されなくなった
代表取締役社長
桐野社長ってどんな人?共に働いた社員の目から見る女性リーダーの姿
営業本部 直販部
新興国・オフロードMC課
学んだのは、自分なりの楽しさを見出し、成果につなげる姿勢
私は約3年間にわたって、マーケティング部にて当時部長だった桐野さんと共に仕事をしていました。当時は、Ninja ZX-25Rワンメイクレースの立ち上げ、コロナ禍における初のオンライン発表会実施、新会社(カワサキモータース)の発足など、新しい事業やプロジェクトが目白押し。しかも、その全ては、会社にとって前例がないものばかりでした。ただでさえ大きなチャレンジであることに加え、チームを率いる難しい立場だったと思いますが、そんな中でも桐野さんはどこか楽しみながら仕事を進めているように見えたのが印象的でした。何事においても自分なりの楽しさを見出すことで、成果につなげることができるのだろうと思いました。桐野さんと一緒に仕事をさせてもらったことで、難しい状況でも楽しさを見出す姿勢・重要性を学びました。